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本田由紀「多元化する『能力』と日本社会」

最近は雑誌ぐらいしか読まなくて、久々にこういう硬い本を読んだらやっぱり大変だった。統計が多くて読み難く、大学の教科書なんかを思い出した。なぜそんな思いをしてまで本書を読んだかといえば、内容に近いことを昔から感じていたけど自分では言葉に出来なかったからだ。
受験生だった時に読んだ「古賀たまき」の本に編集者がこんなことを書いていた。「受験はペーパーテストだけで決まるというが、あなたは個性が駄目だから不合格だと言われるよりよっぽどましだ。個性を教員になど採点されたくない。」「個性といったって会社の宴会を盛り上げる程度のものしか求められない。」
受験戦争という言葉はあっても、例えばクラス内でのポジションをめぐるコミュニケーションの競争についての言説が全く無いのもおかしいと感じた。(かなり後にいじめ問題に関連してスクールカーストという言葉が使われるようになった)
その後オウム真理教の事件があった頃メディアによく出るようになった宮台真司が、「コミュニケーション能力」という言葉を連呼していたが、こんなことも書いていた。「昔の不幸は悪い君主や資本家のせいにできたが、今はそんなものがいないから全て自分が悪いという事になるからキツイ。」(そういう配慮を最近はほとんどしていないように見えるが)
受験勉強のようなノウハウのある「近代型能力」に加えて、意欲や創造性、コミュニケーション能力のような「ポスト近代型能力」をも求められる風潮を「ハイパー・メリトクラシー」と本書は名づけているが、でもそれって生来の資質や生育環境に左右されるものじゃないか?と異議を唱えているのが貴重な視点だと思う。
アマゾンでは統計の解釈で批判しているレビューが多かったが、それでも価値があるんじゃないだろうか。ハイパー・メリトクラシーが批判されにくかったのは創造性、個性、判断力といった言葉は「リベラル」な立場の者が受験への対案として提唱してきたものでもあるからという指摘も重要だ。
統計によれば近代型能力を持っている者がポスト近代型能力も持っていることが多いとなっていて、こういうハイパー・メリトクラシー型の競争が主に起こっているのは大卒の就職戦線ではないかと思った。あと受験勉強を減らせば「生きる力」がつくというような寺脇研の言っていることは間違いだと分かる。
一方違和感があるのが、男性の家事スキルが高いと収入も高いという結果に他の結果に比べて因果関係の考察も無く男性も家事スキルを上げるべきと書いていたり、少子化はポスト近代型能力を子供につけさせる母親へのプレッシャーから起こっているとしているところ。ハイパー・メリトクラシー自体が新しい概念なのだから、母親たちにそんなプレッシャーが感知されているとは思えない。この辺はなんだかうっすらとフェミニスト臭がする。一応赤川学にも触れているが、言い訳っぽい反論しかないし。
ハイパー・メリトクラシーへどう対抗すべきかについて、本書では専門性を身につけることを提唱している。専門高校を増やすべきだとか。ベビーブームに作られたような高校は実業科より偏差値が低かったり、進学より就職希望が多いのに普通科だったりするからそういうところは確かに変えたほうがいいだろう。でも、進学校は大学で専門性を身につければそれでいいんじゃないかとも思った。
でも文系の大学はそこら辺が全然駄目でハイパー・メリトクラシーにいいようにされている。「文系で内向的だと最悪」などというスレッドを掲示板で見た記憶があるが、受験勉強しようが大学で学ぼうが、ただ素材としての評価しかされないような「人間性重視」の採用ばっかりだ。これは大学側だけの問題じゃなくて、職種を分けずにメンバーシップとしての正社員を採用する企業側のせいでもあるが。
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